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1997年 小笠原父島にて
島の土木会社で働いていた。毎日の仕事は道路の舗装工事や崖の石積み、登山道の整備工事では丸太や発電機を担いで山に登った。島を台風が通過する季節は、ガジュマルの大木が倒れたり、山から土砂が流れ出たりして、復旧工事の仕事も多くあった。
工事のない休日、きれいな海や景色には目も向けず、島の人達の写真を撮って過ごした。
「カメラマン」・・漠然と頭の中にあったものの写真を職業にしようとは考えていなかった。
島の子どもたちの写真を大きく引き伸ばして、馴染みの居酒屋に貼らせてもらうと、それを見た見知らぬおじさんが冷たいビールをご馳走してくれた。
「兄ちゃんが撮ったのか? いいねえ・・ビール飲めよ」
ビール好きの僕にとって、写真は一石二鳥の得する趣味だった。
1台のカメラ以外、着替えのシャツでさえ持っていなかった僕に「孫のおふる」だと言ってシャツやズボンを何枚もくれた島のおばあちゃん。居酒屋での人達。もちろん土木会社の社長や島で会ったみんなのこと。お世話になったことを忘れていないし、とても感謝しています。
10年以上の時間が経ってしまいましたが、居酒屋からインターネットに場所を替えて、当時の写真を掲載させてください。
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